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盤谷丸 (特設巡洋艦) : ミニ英和和英辞書
盤谷丸 (特設巡洋艦)[ばんこくまる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ばん, さら]
  1. (n,n-suf) record 2. tray 3. shallow bowl 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 
特設 : [とくせつ]
  1. (n,vs) setting up specially 2. special installation 
巡洋艦 : [じゅんようかん]
 (n) cruiser
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

盤谷丸 (特設巡洋艦) : ウィキペディア日本語版
盤谷丸 (特設巡洋艦)[ばんこくまる]

盤谷丸(ばんこくまる)は、かつて大阪商船が所有し運航していた貨客船太平洋戦争では特設巡洋艦として運用された。厳密な艦種類別は「特設巡洋艦兼敷設艦」であり〔#特設原簿p.92,117〕、実際の戦歴も敷設艦や運送船としての任務がほとんどだった。
==概要==
大阪商船が1926年(大正15年)9月に開設したサイゴンバンコク線は、1935年(昭和10年)の時点では5隻・月5航海の定期航路となっていた〔#商船八十年史p.293〕。1937年(昭和12年)、これとは別に新鋭船を使ったサイゴン・バンコク急航線を開くこととなり、これに使用するために建造されたのが「盤谷丸」と「西貢丸」である〔#商船八十年史p.294〕。「盤谷丸」は第三次船舶改善助成施設適用船、また三菱神戸造船所初の遠洋航路向け貨客船として〔、1936年(昭和11年)11月11日に起工され、昭和12年3月30日に進水して9月20日に竣工した。
バンコクに直接入港するには水深の浅いチャオプラヤー川を往来する必要があり、しかもバンコク出港の際には載貨状態のまま航行するため、「盤谷丸」と「西貢丸」はこの点を配慮した浅喫水船としたことが大きな特徴であった〔。平甲板型の船室を持ち、和辻春樹の設計と中村順平のデザインによるその船室は、エントランスにタイの風景と大仏をモチーフにしたエッチングによる装飾が施され、大型の窓を採用して採光にも配慮されていた〔#野間p.108〕。ディーゼル機関は2基装備され、それをフルカンギアで推進軸に接続したもので、不均一な機関の回転を均一にして推進効率を高める効果があった〔〔。「盤谷丸」は竣工してわずか9日後の9月29日に処女航海を行い〔、遅れて竣工した「西貢丸」とともに40日1航海の定期航海を行った〔。しかし、開航時期が日中戦争勃発後であり、戦争の拡大に伴う民間船の徴傭や、それに関連する船繰りの都合もあり、サイゴン・バンコク急航線は開航後わずか1年で休航し、以降は従来のサイゴン・バンコク線に転じた〔。その後、1939年(昭和14年)4月に台湾総督府命令で高雄に寄港するようになったことと〔、「西貢丸」が一時大阪大連線(大連航路)に転じたこと〔#商船八十年史p.282〕があったものの、「盤谷丸」は1941年(昭和16年)6月までサイゴン・バンコク線に就航し続けた〔。
「盤谷丸」は昭和16年8月15日付で日本海軍に徴傭されて呉鎮守府籍となり、9月20日付で特設巡洋艦として入籍〔#特設原簿p.117〕。8月29日から入籍日をまたいで10月12日まで宇品造船所で特設巡洋艦としての艤装工事が行われた〔。主だった兵装は12センチ砲4基、機銃のほかに機雷500個であった〔。特設巡洋艦となった「盤谷丸」は、「西貢丸」や同じく特設巡洋艦兼敷設艦の「金城山丸」(三井物産船舶部、3,263トン)とともに呉警備戦隊に配属される〔#木俣軽巡p.169〕。12月8日の開戦をはさみ、豊後水道で防備機雷の敷設〔#呉防戦1612pp.66-70〕および広島湾での防潜網敷設〔#呉防戦1612pp.77-78〕に従事ののち、12月31日から1942年(昭和17年)1月1日まで紀伊水道での防備機雷の敷設に従事する〔#呉防戦1612p.82〕〔#呉防戦1701p.3〕。以後も呉防備戦隊の主隊として宿毛湾を拠点に対潜哨戒や防備作業、母艦任務、通信連絡業務などにたずさわった〔#呉防戦1702pp.48-49〕〔#呉防戦1711p.60〕。4月18日のドーリットル空襲に際しては串本に移動し、「空襲の手引きをした」と疑われたソ連輸送船の臨検を行った〔〔#呉防戦1704p.39, pp.59-62〕。10月4日から10月25日の間、「盤谷丸」は横須賀鎮守府の指揮下に入って久慈湾宮古湾および金華山沖などで対潜機雷堰の構築を行った〔#海軍水雷史p.850〕〔#呉防戦1710p.5〕。12月にはソロモン諸島方面に重砲部隊を持った海軍陸戦隊を輸送する乙一号輸送に加わり、12センチ平射砲などを装備した横須賀第七特別陸戦隊をトラック諸島経由でラバウルに送ることとなった〔#木俣軽巡pp.299-300〕。12月10日、「盤谷丸」は横須賀を出撃して12月22日にラバウルに到着し、1943年(昭和18年)1月7日に佐伯に帰投した〔#木俣軽巡p.300〕〔#呉防戦1801p.82〕。次いで2月28日には「西貢丸」とともに佐世保第七特別陸戦隊を乗せて横須賀を出撃し、当初の予定では横須賀第七特別陸戦隊と同様にラバウルに輸送する予定だったが、途中で行き先がタラワに変わり、3月17日に到着〔#木俣軽巡pp.300-301〕。「盤谷丸」と「西貢丸」は無事に輸送任務を終え、4月2日に佐伯に帰投した〔#呉防戦1804p.40〕。
4月27日、「盤谷丸」は陸軍南海第一守備隊のタラワへの輸送任務に起用されることが決まった〔#呉防戦1804p.5〕。特務艦「間宮」とともに船団を構成した「盤谷丸」は5月4日、駆逐艦」の護衛の下に佐伯を出撃し、5月12日にトラックに到着する〔#呉防戦1805p.44, pp.47-48〕。トラックで「間宮」と別れたあと、5月16日にトラックを出撃した〔#木俣軽巡p.301〕。この「盤谷丸」の動きに熱い視線を注いでいたユニットがあった。ハワイのアメリカ太平洋艦隊戦闘情報班がそれで、そのうちの無線班が「盤谷丸」の動きに関する暗号を解読していた。それによれば「「盤谷丸」はシンガポールの戦いの末に捕獲したイギリス軍の8インチ砲4門を搭載していた」というものだった〔#ホルムズp.159〕。陸軍南海第一守備隊は歩兵4個中隊と野砲1個中隊で構成されていたため事実とは大いに異なっていたが〔、太平洋艦隊潜水部隊作戦参謀リチャード・G・ヴォージ中佐〔#ホルムズp.140,159〕を介して、当時ジャルート環礁付近を行動していたアメリカの潜水艦ポラック(''USS Pollack, SS-180'') に対して「盤谷丸」を迎え撃つよう指令が出された〔。5月20日午後、「盤谷丸」と「雷」はジャルート環礁ジャンボール水道付近を航行していた〔#野間p.109〕。一方、ポラックは「赤城丸級輸送船と千鳥型水雷艇」を発見し、発見から20分後に魚雷を4本発射〔#SS-180, USS POLLACKp.156〕。ポラックの発射した魚雷は3本が「盤谷丸」に命中し、「盤谷丸」は300フィートに及ぶであろう爆煙を吹き上げて沈没した〔#SS-180, USS POLLACKpp.156-157〕。「雷」が反撃に出て21発もの爆雷を投下し、ポラックはこの爆雷攻撃で電池と潜舵が損傷したが、それ以上の被害はなかった〔#SS-180, USS POLLACKp.157〕。乗員および陸軍南海第一守備隊隊員のうち496名が戦死し、474名の生存者は救助されてジャルート環礁に上陸した〔〔。太平洋艦隊戦闘情報班はのちに、「盤谷丸」と件の8インチ砲が無関係だったことを知って失望したが、陸軍南海第一守備隊の移動を阻止したことをよしとした〔。7月15日付で除籍および解傭された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「盤谷丸 (特設巡洋艦)」の詳細全文を読む




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